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「クリスマス・キャロル」と「どろぼうの神さま」

 あっというまに師走ですね。 今日は、クリスマスにふさわしい本の紹介をしたいと思います。 ディケンズの「クリスマス・キャロル」とコルネーリア・フンケというドイツの作家が描いた「どろぼうの神さま」の2冊。大人と子どもの視点を対比させた、SF的要素のある児童向け文学という観点で、この2作品は似ています。 なぎさ: 先生、こないだお借りした 「クリスマス・キャロル」 読みましたよ! スクルージ爺さんが、第1の幽霊の力で過去のふるさとに戻ったシーン、金儲けのことしか考えない彼も、子どもの頃は無邪気だったんだって驚きました。第3の未来を見せる幽霊って、もしかしたらスクルージさん本人かな?って思いました。 誰にも悲しまれずに悲惨に死んだ魂が、未来から警告しに来た んじゃないかって。 > 当たってるんじゃないかな。スクルージに残った善の心が見せた幻なのかもしれませんね。 弱者を踏みにじる強欲な大人に、子どもの心を思い出してほしい というお話だから。「オリヴァー・ツイスト」をはじめとするディケンズの代表作は、虐待された子どもの視点で社会の不正を糾弾するスタイルが多いです。 つらい話も多いけど、物語の根底に、人間の善性に対する圧倒的な信頼がある。だから読んでいて安心する。 なぎさ: あれ そこにある本はもしかして「九条の大罪」で出てきた? > そう。 「どろぼうの神さま」 。真鍋昌平の漫画「九条の大罪」で、ホストを殺してしまった少女を弁護する際に、九条君が留置所に差し入れた3冊のうちの1冊。娘が成長したら読ませたいと言って、「モモ」と「星の王子様」と一緒に渡していました。うまい描き方ですよね。気になって読みたくなるもの。 なぎさ: 私もあらすじだけ調べました。どろぼうの神さまを名乗る少年スピキオが、つぶれた映画館に孤児たちをかくまっていて、彼らを探す探偵ヴィクトール、強欲な古物商バルバロッサ、孤児院とかかわりのある女性イダといった大人たちも交えて、不思議なメリーゴーランドをめぐる冒険へ。 > 強欲な古物商の運命は「クリスマス・キャロル」へのオマージュかもしれません。物語のカギを握る、子どもを大人に、大人を子どもにする不思議なメリーゴーランドは 「ライ麦畑でつかまえて」 後半場面を連想します。 なぎさ: どの作品も、子どもに対する優しいまなざしがありますもんね...

伊坂幸太郎「777」

伊坂幸太郎の新作「777 トリプルセブン」 について書いています。ただしミステリーの核心部分には触れていません。カウンセリングの見地から興味深い部分に焦点を当ててまとめました。いつも社会問題を取り込んだ内容を描く伊坂さん、今回は マインドコントロールや虐待、そこからの癒し、回復 についてが重要なテーマに思えます。この問題は決してカルト宗教や芸能界だけの問題ではありません。職場でも学校でも、皆さんの身近で形を変えて気づかれないようにさりげなく起こっていることだと思ってほしいです。それではいつもの二人(なぎさと先生)に登場してもらいましょう。 なぎさ:  先生、伊坂幸太郎の新作読みました? ココおばさんが 「本当に悪い奴は、みんなに良い人だと思わせる」 (32P)と言いますが、最後まで読むと、本当に悪い奴と良い人がまさかの展開で。私は人を見る目がないなあって・・・ > 「777」は最後に大どんでん返しでしたね。でも、伊坂さんのミステリーは、推測する材料が少なすぎて、ちょっと分からないですよ。 なぎさ:  そうか、しょうがないですね。 > 今回の作品も、 「父親の振る舞いが息子の人生に大きな影響を与える」というテーマは、初期の名作「ゴールデンスランバー」と同じ だし、もう一つ、伊坂幸太郎は一貫して、 「常に疑え、常識に従って思考停止せず、自分の頭で考えろ、それが正義なのか悪なのか」という問いを読者に突き付けていますが、今回もそう。 最終的に、法で裁けない悪を討つ話でした。人を操っているといい気になっている権力者を叩きのめす。処女作「オーデュポンの祈り」や「重力ピエロ」の頃から全くぶれてない。 なぎさ:  「777」の主要な登場人物をおさらいしますね。舞 台はホテルで、裏世界の様々な業者(殺し屋、逃がし屋、仲介屋)が集まってくる。まず主人公の、「マリアビートル」の時と同じく不運やトラブルに巻き込まれる天道虫と呼ばれる殺し屋。 > 「殺し屋」シリーズの4作目。同じ主人公が活躍する「マリアビートル」がハリウッド映画化されたから続編を書いたんでしょうね。 なぎさ:   決して忘れることができないという能力を持った紙野結花という女性が、そのホテルに逃げ込む。 彼女が頼る逃がし屋のココおばさん。紙野を追う乾。彼が依頼して、紙野を...

市川沙央「ハンチバック」

本を読んでいると、ごくまれにですが、この作品は僕が描いたことにならないかなあと思う作品に出くわします。 最近では、第169回(2023年)の芥川賞を受賞した 市川沙央さんの「ハンチバック」 を読んだとき、そう思いました。 不適切な表現だと思いますが、これを書いた人は僕かもしれないと思いました。技術的な話や物語の世界観がどうとか些末な話ではなく、この人が感じていること、表現していることは、自分が感じていたとしてもおかしくない、と。日本SFの転換点とも称される伊藤計劃の「ハーモニー」、「虐殺器官」を読んだ時とも、近い感触です。 「ハンチバック」の主人公は、重度のミオパチーで身の回りのこともままなりません。物質的には狭い範囲ですが、精神的には広い範囲の物語で、そのテーマは、まず、“復讐について”だと思いました。それも、自分を抑圧し続ける世界すべてに対する復讐です。 ただし、この作品は、最終的には、復讐を肯定していない気がします。むしろ、障がい者を侮蔑するような人種への憐みの念、いや、それすら越えて、すべての、自分の可能性を無駄にして怠惰に暮らしている人間(私も当然含む)に対する慈悲さえ感じました。だから、これは神話だし、聖母マリアについての物語です。 作品を読んで、どう思うかは読者の勝手です。 市川沙央さんは、父親に最初、破廉恥な小説だと怒られたと書いていますが、私はそうは思いませんでした。 コンピューター用語や、場面転換の唐突さ、聖書からの引用とか、わけわからないという意見も出るでしょうが、それも含めての表現だし、エヴァンゲリオンのような、新たな創世記なのだとも言えます。 SF作家、神林長平の代表作 「戦闘妖精・雪風」 へのオマージュをしばしば指摘されていますが、「雪風」の主題のひとつが、見えない巨大な敵から人間性を凌辱され、知らない間に、徐々に剥奪されていくことだとしたら、まさに適切なサンプリング手法だと思います。 私は、純文学もサイエンスフィクション(SF)も、道具立てが異なるだけで、人間の心理的成長、内面の変化について書かれているという意味では同じだと思っています。日本で人気のある「夏への扉」は自閉的な主人公が、他者を愛することを知るまでの物語とも読めるし、タイムマシンやコールドスリープはそのための演出に過ぎない。 そもそも聖書とか、世界各地の創世記、もっと言えば...

村上春樹「アフターダーク」と無意識の世界

今回は村上春樹「アフターダーク」を中心に、村上春樹の諸作品に共通するテーマと夢分析について対話させています。 なぎさ:  あ、先生。朝からなんですけど.... 嫌な夢を見たんです。厄払いに話してもいいですか。 > おはようございます。はい、いいですよ。 なぎさ:  夢の中で好きな人と一緒にお店に入ったんです。そしたら中はがらんどうで。奥へ進んでいきます。ふいに背中に触れた手が別の人になって、ぐるぐる私の体に巻き付いてきて。驚いて噛みついたら、うめき声を上げて、どろどろと溶けて消えていきました。でも、私も力尽きて意識を失って、そのまま目を覚ましました。どういう夢なんでしょうか。 > それは....   がんばったね。邪悪な何かを自分の力でやっつける夢だから悪い内容ではないと思います。村上春樹の 「ねじ巻き鳥クロニクル」 で、主人公の夢と現実が入り混じった空間、何かの建物の中で、邪悪な何かを叩き殺す場面を思い出しました。その後、現実世界で彼や、彼の家族を蝕んでいた人物が、脳出血を起こして死ぬんです、確か。 なぎさ:  すると、私も、私の邪魔をする誰かをやっつけたということでいいんですか? > かもしれないです。 「海辺のカフカ」 で、ナカタさん(主人公の分身)が不思議な部屋で、猫殺しのジョニー・ウォーカーを刺し殺すと、現実世界では主人公が憎んでいる父親が殺された話とか。 なぎさ: そういえば、 「かえるくん、東京を救う」 もそんな話ですね。真面目にがんばってるのに報われない片桐さんの前に突然、かえるくんが現れる。「隠喩とか何かの象徴とかではなく、文字通り私はただの蛙です」みたいに言って。片桐さんの助けを借りて、東京に大地震を起こそうとするミミズくんと戦う。 かえるくんは片桐さんの影(シャドー)なのですか? ユング心理学でいうところの。 私もかえるくんみたいな影が欲しい。彼の声が力溢れて、強い権力に屈しない、というのが私でも伝わりました。ミミズくんって何者なのか分からなかったけど、目に見えない、人々の悪意の集合体なのかな。かえるくんは悪意の集合体のせいでボロボロになったと思うと、胸が苦しい。 > かえるくんは片桐さんの、さらには世界中の人々の普遍的(集合)無意識のなかにいる、英雄やトリックスターの「元型」(archetype)かもしれないで...

「まぼろしのトマシーナ」と失われた記憶について

最近のテーマとして、私は、河合隼雄が紹介する物語や、村上春樹の作品、紹介する物語について書いていきたいと思っています。今回は河合隼雄がエッセイ「猫だましい」で心理療法の見本として解説しているポール・ギャリコの代表作「まぼろしのトマシーナ」についてです。この作品は1963年に ディズニーで実写映画 にもなっています。 今回も対話形式で、ややこしい内容をなるべく分かりやすくしようと試みました。対話相手に名前をつけていませんでしたが、今回から「なぎさ」(凪を当てます)とつけます。 なぎさ: 先生、おはようございます。貸してもらったポール・ギャリコの本2冊、読んでいます。以前教えていただいた ウィリアム・サローヤン は 小田扉の漫画 みたいでしたけど、ギャリコはちょっとジブリ映画みたいですね。 先生: それは良かった。「さすらいのジェニー」なんて、まさにジブリの冒険ファンタジーですね。両親の愛を受けていない少年が交通事故をきっかけに無意識の世界で猫になり、自身のアニマである猫ジェニーと冒険する。 なぎさ: アニマというのはユングが提唱した無意識の中にいる異性ですよね。私だったら男性形のアニムス。 先生: そうです。影、アニマ/アニムスといった無意識に潜む心のパターン(元型)は、人間の心の成長に深く関わっています。韓国のポップ・グループBTSが影に向き合うことをテーマにしたアルバム 「MAP OF THE SOUL : 7」 を発表したことも話題になりましたね。 なぎさ: 師長さん達、BTS好きです(笑)。ジェニーとの関わりの中で、主人公は母親の愛を疑似的に体験して、それからジェニーを奪おうとするボス猫デンプシーと対決する。先生、私、ネットで調べたんですよ。ギャリコが駆け出しのスポーツ記者だったころ、デンプシーという名のボクシングのヘビー級チャンピオンと闘ったんだそうです。記事のリアリティのために? まるで岸部露伴みたいです。 注)岸部露伴とは、荒木飛呂彦の漫画、ないし、それを基にした実写作品 「岸部露伴は動かない」 の主人公。非常に斜め上を行くやり方だが、彼の行動が結果的に人々の心を癒すこともある。古今東西、探偵役の主人公は、しばしばカウンセラーの役割を果たす。私は名探偵 フィリップ・マーロウ の直系 「CITY HUNTER」 がずっと好きです。 先生: 「さすらいのジェ...

窓ぎわのトットちゃん

 私は古典や一般書、児童書の名著、ベストセラーを集めて病院内私立「図書箱」を作っています。最近、同時期にある作品が職員や患者さん複数に借りられたので、その本のことを書きたいと思いました。それは、黒柳徹子さんの自伝 「窓ぎわのトットちゃん」 (講談社青い鳥文庫)です。 小学校での体験を描いた作品にふさわしく、二人の対話のような形で書いていきます。 「窓ぎわのトットちゃん」面白かった。(2023年の)冬にアニメ映画になるみたいですね。 ≫ それは良かった。今年映画になるなんて、ちょっとした共時性(シンクロニシティ)かも。黒柳徹子さんが通っていたユニークな小学校「トモエ学園」での出来事を描いたノンフィクション、なんだけど、実際の手触りは限りなくファンタジーの世界だと思います。 校長先生の言う「君は、ほんとうはいい子なんだよ」(P243)って、確かにファンタジーの世界の魔法の呪文みたいですね。 初めてトモエ学園に行った日、「なんでも話してごらん」と言ってトットちゃんの話を4時間も聴いた「校長先生」(P29)、いいなあ。普通なら、話を途中でやめさせそうだけど、彼は全く気にせず最後まで聴いてくれて。 ≫ 最初から校長先生もトットちゃんを大好きになったって。子どもの話を聴くべきだから聴くのではなく、対等の友人として興味深く聴いていたみたいだね。 この対応が、トットちゃんが校長先生に心を開くきっかけになったと思います。トットちゃんは周りから冷たい目で見られたり疎外感を感じる事もあったそうだから。 ≫ 決まったルールで管理された小学校では、トモエ学園のように自由にふるまえないし、そもそも校長先生が対等に接してくれるなんてありえないものね。校長の信念はシンプルに、「どんな子も、生まれたときは、いい性質を持っている。それが大きくなる間に、いろいろな、まわりの環境とか、大人の影響でスポイルされてしまう。だから、早く、この『いい性質』を見つけて、それをのばしていき、個性ある人間にしていこう」(P331)というもの。 トットちゃんは、普通の大人からみたら厄介で迷惑な子どもだけど、トモエ学園の生徒や校長先生、トットちゃんの両親は他の人と違った見方だから、いい子だと愛されていたんだと思います。子どもは大人よりも周囲の気持ちを敏感に察するのかもしれない。自分も気をつけないと。 ≫ その気持ち...

栗本薫について、過去に書いた文章の転載

「永遠の子どもであること」は文学、芸術の主要なテーマの一つだと思います。しかしアーティストが、自分自身と仲間達の私的な共同幻想のみを自己の拠り所としたら? 社会全体の共同幻想、というか人としての最低のルールを無視する、いや理解さえしていない、しようともしないとしたらどうでしょうか?  ライトノベルの始祖といわれることも多いベストセラー作家、栗本薫(評論の名義は中島梓)の本を子どもの頃よく読んでいました。 中島梓『コミュニケーション不全症候群』P322 ちくま文庫 (時代の圧倒的な流れに逆らうことはできない、という文脈に続いて) 「だが、自分自身のほうは確実に、変わることが可能である。-それも自分の力によってだ。そのことで、時代と歴史を変えることは出来なくても、時代と歴史の変貌からの圧力に対して抵抗力を保持することは可能だろう。(中略)我々は自分自身であることによってだけ、歴史や時代や社会の強制から自由であれる(中略)。歴史にまきこまれることは避けられないが、歴史に変容させられる必然性はない。時代のなかにあっても、自分自身であり続ける自由をもつこと-ないしそのための努力をすることはできる。(中略) 我々はそのためにまず、自分の置かれている環境がどのようなもので、自分が知らず知らずにかけられている時代と社会からの圧力はどのような種類のものか、そのために自分がどのように自分でなくなっているのか、よく知らなくてはいけない。」 1991年の著書『コミュニケーション不全症候群』において、彼女は、それをいみじくも「大人のずる賢さとエゴイズムを身につけた無責任な子ども」と表現しています。 それは精神医学の見地から云えば、自閉症スペクトラムの素因があったうえで、他人の意図を推し量れないまま、わがままに育っていった人類と言い換えることができます。そしてこれは、後に彼女が生み出したタナトス生命体と呼ばれるモンスターに似ています。 タナトス生命体は、彼女の長編伝奇小説 『魔界水滸伝』 20巻に登場します。本作は永井豪『デビルマン』や諸星大二郎『妖怪ハンター』シリーズのオマージュであり、人間、先住者たる妖怪、そして古きものども(クトゥルー神)の3つ巴の戦いが描かれます。 クトゥルー神は本家 ラブクラフト のような人智を超えた存在ではありません。代わりに絶対に理解不可能な存在として登場するのが...

帰ってきたヒトラー / 街とその不確かな壁

『  帰ってきたヒトラー』ティムール・ヴェルメシュ著(河出文庫 訳:森内薫)を読みました。 この小説の大きなメッセージは、 映画版の主演俳優インタビュー にあるように、 「ヒトラーが現代に復活したら、はたして人々は再び洗脳されてしまうのか?」 だと思います。  2010年代のドイツにタイムスリップしたヒトラーが現代文明を批判する語り口の面白さや、人々との会話の行き違いも痛快です。 「携帯電話は禁止して、劣等人種にだけ持たせればいい。事故にあって次々死んでいく」と持論を展開したり、「あなたはヒトラーそっくりに整形手術(Operation)したのか?」と問う相手に、「もちろん(第2次大戦における)作戦(Operation)はあった!」と答えるとか。 ある種、発達障害/自閉スペクトラム症的な描写をされています。現代の常識を知らないから当然かもしれませんが、場の空気を読まずに怖いものなしです。  しかし、この小説のクライマックスは下巻29章「真実」における秘書クレマイヤー嬢との対話でしょう。  クレマイヤー嬢は、コメディアンとして人気者になったヒトラーの秘書を務めていることを祖母に話し、祖母に憤慨される。祖母の血筋はユダヤ系であり、祖母の家族はナチスのユダヤ人虐殺で全員殺されたことを知らされます。  クレマイヤー嬢に責められ、もう秘書を辞めると言われてヒトラーは混乱します。 クレマイヤー嬢が必要なのだ。そして、私は彼女に好感さえ抱いている。 その血管にユダヤの血が流れているのが事実としても、了解の上でつきあっていけばいいだけのことではないか(下巻144ページ)  嘘がつけず民族の理想のために邁進したヒトラーでしたが、その彼が初めて、自身のおこないの論理的矛盾に気づかされる場面。  行いが間違っていたにせよ、彼が、彼の信じる民族救済のために身を粉にして働いていたのは事実です。 本書では、ヒトラーが子供好きだったという描写が散見されます。下巻87ページでは、公園で遊ぶ子供たちを眺めながら美術のスケッチをしようとします。下巻196ページでは親のない子供が施設で育つのではなく誰かに引き取られるべきだと、養子縁組を奨励していたことを話します。  そして彼がクレマイヤー嬢に弁解するように 「1933年には国民はだれひとり、巨大なプロパガンダ的な行為で説得させられてはいない。そし...

ラーゲリより愛をこめて/戦場のメリークリスマス

医療というと皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。投薬、採血、レントゲン、心電図、胃カメラやレントゲン、CT、MRI、内視鏡、大きな切開を伴う外科手術。もちろん精神科でも内科的な検査はしますし投薬もします。ですが心理療法や心理検査も同じくらい大切です。 病巣を最小限に切り取って短時間で終わらせるほうが良い外科手術であるように、心理療法も長くても見当違いではいけないし、もう少し時間が必要なのに「はい、がんばれよ」と短時間で打ち切ってもよろしくないです。 では、心理療法においては、どこに病巣があって、どれくらい時間をかける必要があるか、どうやって判断するのでしょうか。こころは画像検査で「ここからここまでが病巣です」と割り切れません。だから私たちはたくさんの知識や人生経験、様々な人と関わることが必要です。でも、だからといって全ての職種、全ての人種と出会うことはできないし、全ての経験をすることは不可能です。 だから、私たち精神科医は、医学書だけでなく、たくさん本を読みます。私は読むのも遅いし量も読めていないほうだと思いますが、それでも読まないよりはマシだし、若いころ読んだ本を読み返すと「こういうことだったのか」と驚くこともしばしばです。 なので、こうして記録をつけていこうと思います。もしご興味があればお付き合いください。今回は第2次世界大戦の収容所についてのノンフィクション(ないし限りなくノンフィクションに近いフィクション)について書きたいと思います。 収容所体験記といえばヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」が有名ですが、最近の話題として、二宮和也、北川景子主演、2022年公開の映画「ラーゲリより愛を込めて」をご存じでしょうか。その原作であるノンフィクション 「収容所から来た遺書」 を最近読みました(この本自体は1989年に出版され当時TVドラマ化されています)。 シベリアの強制収容所(ラーゲリ)で死んだ日本兵、山本幡男、その4500字もの遺書を、何人もの仲間が分担して記憶して持ち帰るという方法で遺族に届けたという実話を基に、山本やその仲間が収容所内で読んだ俳句や詩、おこなった演劇なども含めて、物語として再現したという本でした。 そうやって再現された物語は非常に強い力と説得力を持ちます。シベリアの極寒の中での強制労働とわずかな食事。厳しい思想統制、そんな状況で生み出さ...