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Showing posts from March, 2024

10年くらい前のメモ書き

 10年前のメモ書き。引用元もわからなかったりするし、そのまま記録しておきます。  「あまりに残虐な事件に直面したとき、復讐の欲求のようなものにかられ、こんな奴は死ぬべきだと、恥ずかしながら考えたこともあります。こういう商売をしていれば、一番被害者の苦しみや遺族の悲しみ、犯人の心の深淵などに近づきやすい立場にいますからね。   誰かの死を願うこと、それがどれほどいけないことだと分かっていても、赦すというのは口で言うほど簡単なことじゃない。それこそ神の如き心を持っていないと。でも僕は神様じゃないし、神にはなれない。」 「そんなときはどうするの?」 「頑張るんです。」 ちょっとはにかんだように彼は笑った。 「それは間違っている。自分は今正常じゃない。怒りのあまりに正常でなくなっている。だが正常なときに感じたことを自分はしっかり守っていかないといけない―って、そう思うんです。そう唱えてそれから一晩寝ると、たいていその野蛮な欲求は消え去っていますね。憎しみの思いにかられること、それに従い実行することの間には天と地ほどの違いが存在しているんです。」 (栗本薫の小説中、探偵 伊集院大介の発言) 精神科医、町沢静夫の著作から つらい過去や悲惨な状況に捉われず、今目の前にある美しさを見つめ行動する。 自分自身の中に喜びを発見する。趣味や生きがいをみつける。 外の状況に左右されない。名誉や地位といった外面的なものにこだわりすぎると内面的なみずみずしさが失われる。 自分自身の個性、ユニークさを大切にする。 感情をやわらかく保つ。笑い、ユーモア、無駄や遊びも大切。 そこそこ、まあまあ楽しく生きる。完全主義や強迫観念は人を追い詰める。 自分の中にある自然なこころのリズムにしたがう。バランス感覚を保つ。植物や他のいきものと同じように私たちも自然の一部なのだから。 急に何か新しいことをはじめようとしてそのときの自分の状態を考慮しない、あるいは無理な仕事をあえて引き受けて責任感つよく一生懸命がんばる。そういった方法で自尊心を守るのではなく自分のありのままを守ることが健康を保つ条件。自分の心の中では無理だといっていたら、その声に誠実に耳を傾ける。 安定している時は変化を楽しみ、不安定な時は静かに待つ。待つこと、じゅうぶんに待つことのほうがエネルギーを要する。いろいろなことに思い巡らすのを止め、思考

泣くべきか、それとも笑うべきか - THE BROOKLYN FOLLIES

     ポール・オースター「ブルックリン・フォリーズ」 を読みました。いつものごとく、ディケンズ的な主人公による人生の立て直しの物語。彼の作品の中では、完成度が高いとはいえない、雑多な詰込みの作品ではないかと、最初は思いました。    でも今作は、若い世代を見守る中年男性の視点で描かれたがゆえに、非常につらい現実を語りながら、よりユーモアも感じられました。様々な理由で社会と折り合いをつけることができない人々を見守ってくれているような。ポール・オースターのあたたかい眼差しをより強く感じる作品。 では、いつものように、二人の精神科医の対話という形で、この後の感想を綴っていきます。刊行から時間が経った作品ですが、明確なネタバレもあるので、知らずに読みたい方はご注意下さい。 「我々はみな、最終的に巨大な力の前に敗れ去るけれど、それでも生きて、為すべきことがある。誰かのためでもあるし、自分のためでもある。それらは決して無駄じゃない。僕はポール・オースター「ブルックリン・フォリーズ」を読んで、そんな感想を抱きました。」 西山大介はわずかの間、中空を見つめた。彼が物語を要約するときの手順だ。 「なんだか、「かえるくん、東京を救う」( 「神の子どもたちはみな踊る」 収録)で、かえるくんが主人公に語る内容に似てますね。」 遠藤凪は、ポール・オースターというアメリカの作家について大介に尋ねていた。 「うん。物語の構造自体、村上春樹に似ています。自分はいったい何者なのか?という問いに、いくつもの伏線、いくつもの謎が絡み、それが交差し収斂していく。社会から孤立した人々、マイノリティーの物語。」 「翻訳者も村上さんの友だち、柴田元幸だからか。村上春樹が好きでアメリカ文学を読みたいなら、まず最初に、といった感じで、よく紹介されてますよね。 小川洋子が、リアリティのある枠組みの中で、ものすごく幻想的な話が繰広げられていく、と評して 絶賛しているので読んでみたいなと。」 「小川さんが勧める「ムーン・パレス」は鉄板で面白いと思いますし、初期の作品は傑作が多いのでしょうが、どこか割り切れない、うまく呑み込めない何かが胸に残ります。少なくとも僕はそうでした。」 「図書館や三洋堂の100円コーナーで拾って読む分には十分すぎる傑作だけども?」 凪はクスクス笑う。新刊の翻訳書は図書館で、は西山の口癖だ。  

ドラえもん「のび太の地球交響楽」/ 灰谷健次郎「兎の眼」

娘と 映画ドラえもん「のび太の地球交響楽(シンフォニー)」 観てきました。ドラえもんは最も分かりやすく、かつ優れたサイエンス・フィクション(SF)の一つで、SFとはコミュニケーション、気持ちを伝えることを説明するための、とても分かりやすい芸術ジャンルの一つだと思っています。 今回のお話は、「音楽のエネルギーを取り戻すことで世界を救う」というもので、コミュニケーション・ツールとしての音楽が作品テーマであり、結末のカギにもなっています。 大魔王、エイリアン、独裁政権といった、SF的にわかりやすい設定の敵は出てきません。音楽の星ムシーカと地球を襲った「 宇宙生命体ノイズ」は、音楽とそれに伴う生命エネルギーを惑星ごと奪いつくしてしまうのですが、それ自体が意思をもっているわけではなく、おそらく人の心の昏い部分から生まれた存在 です。4万年前に音楽の星ムシーカが滅びたのは、権力者が音楽エネルギーを独り占めしようとして、人々に演奏を禁止したため、無音になった星にノイズが侵食していったからでした。 話の発端は、小学校でリコーダーが上手く吹けず、音楽なんてなくなればいいと願ったのび太が、秘密道具 あらかじめ日記に「明日、音楽が無くなる」と書いたことでした。混乱する世界に驚いたのび太は、日記を破って予定をキャンセルしたのですが、そのわずかな隙にノイズは地球に広がり、あらゆる音楽を奪い、生命活動を停止させようとします。 ノイズの一体一体は弱く、ジャイアンに潰されてしまう程度のちっぽけな存在です。しかし人間の弱いよこしまな心がある限り無限に増え続ける、私たちひとりひとりの心が招く災厄、ダーク・フォースです。ちょうど、村上春樹の リトル・ピープル と栗本薫の タナトス生命体 を合わせたような存在で、そういえば両作家は、音楽を作品の重要なテーマとしています。 ところで、作中、前半、のび太たちは楽器演奏によって、ファーレの殿堂と呼ばれるムシーカ星人の遺跡を蘇らせていきます。その際に必ずしも上手な演奏がよいわけではありません。のび太の調子っぱずれのリコーダー、 悲しげで単調な笛の音が、むしろ、遺跡を守るロボットたちの悲しい気持ちに寄り添う シーンがあります。 理屈で説得され励まされるより、決して上手ではないような音楽が、心にぴったり来ることがあるかもしれません。なんといっても、歌や鳴き声といった音